2008年10月10日 (金)

生きてること楽しいですか

何時の世になっても、生きる意味とか生きる目的について取りざたされている。考えても結論など出ないことは、今までの経緯から明らかであろう。なんて書き方をすると、とても偉そうではある。

私は、人間は動物であると考えることが基本だと思っている。別に意味や目的があって生きているのではなく、生命を維持するために食事を取って、子孫を残すためにSEXをして、そのような動物的行為には快楽が潜んでいる。それ以外の人間の行為は、社会的な行為であって、個人的にはコントロール出来ない。

私は、音楽が趣味だが、動物として生きて行くには音楽的な才能があろうと無かろうと関係ない。でも、社会的な存在としての人間と考えると、その才能で社会的に成功を収めることが出来たりもする。

人間が社会的に生きることはやっかいだ。めんどくさい。地位、名誉、財産、プライド、老後の心配、チンポの大きさ、などなど。

出来ることなら、動物的な人間として動物的な満足に充足して生きていきたいものである。なんて思っても、食べて行くには金が必要だし、満足できるSEXには個人的な魅力が欠かせない。そのようなことは、社会的な地位が高いほど有利なポジションを得ることが出来そうだ。

やはり、貧乏人は貧乏暇なしで、世間に翻弄されながら、気がついたら年老いてしまい、何ら良いことはなかったなあ、おい。と言った感じで、使役動物のごとく、生きる意味やら目的も考える暇無く一生を終えるのかもしれない。

私も、そうなるであろう。

2008年10月 9日 (木)

恋人がサンタクロース

まだとても若い頃、私とて、スキーにデートに大変忙しかったものである。ちょうど世の中が浮かれていた時期なので、誰しもそんな感じだった。

その頃、流行っていたのが、「恋人がサンタクロース」という歌だった。ただし、私が聞いたのは、松任谷由実ではなく松田聖子バージョンであった。あの時は、太陽の光にきらきら光りながら舞い上がる数え切れないほどの雪片のように、自分の周りが華やかな雰囲気で覆われていたように感じたものである。

その頃の気分を思い出そうと、ユーチューブで松田聖子の、「恋人がサンタクロース」を聞いてみた。素っ気ない飾り付けの広いライブ会場で、カラオケに合わせてミニのサンタ服で走り回りながら熱唱していたのだが、それを見ている内に非常なる違和感に襲われたのだ。

私が若い頃、松田聖子が熱唱しているライブ会場の舞台と同じく、偽物の飾り付けで、しかも申し訳程度で飾り付けられた舞台で、なんの根拠もない華やかさを感じて忙しく動き回っていたのかもしれないと。私が当時漠然と感じていた、身の回りの空虚を充たしていた物は、とてもうまく作られた安っぽい舞台装飾だったのだなあと感じ入った次第であります。

それが、つまらないというのではなく。今の世の中、自分の身の回りを充たして満足させてくれる、リーズナブルな舞台装置がないなあ。と嘆いているのです。それって、もしかして、舞台装置そのものの価格が高騰したため、貧乏な私には購入できないだけなのかもしれません。

2008年10月 7日 (火)

いまごろ秋葉原連続殺傷事件について。

事件を起こした男は、自分の暴走を止めてくれなかった腹いせに、あのような悲惨な殺戮を行ったらしい。と、テレビで報道しているのを聞きました。

この加藤という男、今回の事件は、周囲が自分を追い込んだ事が原因だと開き直るらしい。

顔が悪くて女性にもてないのも、自分が望んで得た顔ではないので、この点に限れば、確かに加藤本人には責任はないだろう。でも、なぜ整形手術という選択肢が頭に浮かばなかったのか。この加藤に友達がいなかったのも、友達出来ないDNAを持って生まれたからなのだろうか。まあ、加藤本人のことは他人には分かりません。子供の頃、少し勉強が出来たみたいだけど、周囲の環境に適応出来るように自分をプロデュースする能力は低かったのでしょう。

これって、コミュニケーション能力が低かったと言うことでしょうか。せめて、もう少し勉強が出来れば、暗いけど頭は良いという、よくある類型に当てはまったのに。

素質、環境、本人の性格。どんな人間ができあがるのかは、あまりにも様々な条件が相互に作用して予測不能です。

でも、最近の悲惨な事件は、貧困がべったりと貼り付いている。

2008年1月23日 (水)

やはり赤木智弘氏はおもしろい。

ライブドアの眼光紙背で連載中の、赤木智弘氏が面白い。コメントが最も多いのは、良くも悪くも興味を引く話題を提供していることの証だと思う。

確かに、コメントは賛否両論。実質的なデビュー作「希望は戦争」でもそうだったけど、他人が口を差し挟みたくなるものを、彼の書く文章が持っているのだと思う。「赤木智弘はシンデレラボーイだ」というのを、どこかで読んだ記憶があるけれど、才能があっただけの事じゃないでしょうか。

ネットラジオで赤木氏が話しているのを聞いたことがあるが、なんだか親しみやすくニコニコした感じの、聞き取りやすい口調で話していました。

でも、文章は結構邪悪です。他人の反応を見透かした上で、敢えてハズして書いているような、そして上手く釣れたなと、その裏でニヤニヤしているような悪意。いや、もっと深い、不遇時代の怨嗟とか。露悪嗜好混じりのコンプレックスとか。ちょっと投げやりで投げっぱなしな感じとか。そんなことまで勘ぐってしまいます。

ちょっと思い出したけど、「社会派君がゆく!」も、世間のマイナスな側面に寄り添うような感じで、実は社会の良識揺さぶりをかけて世間の見方を変えるような時がありました。でも、今や凶悪犯罪は日常茶飯事。実際、私が住んでる田舎でも夜間の外出は危ない。なんたって馬鹿で貧乏な奴らがウロウロしているから。それも自動車で。

とても、興味本位で犯罪物を読むなんて次元じゃなく、犯罪から身を守る実際的な知識が必要となっている時代じゃないのかな。私も、夜間、パチンコ屋の周辺は避けている。急発進する自動車。急な右折左折。突如の停止。道の真ん中で周囲に注意も払わず話しながらふらふらふらふら。何度ぶつかりそうになったことか。そんな連中相手に事故でも起こしたら、後でどんなトラブルに巻き込まれる事やら。くわばらくわばら。

犯罪は遠くから眺めるような時代じゃなく、いつ自分も巻き込まれるか分からないものに変質してしまって、危ない国になったものです。実際私も、アル中の貧乏人に突然絡まれて、危うく大けがを負うところでした。とにかく意識してその手の人間には近づかないようにしないと危険です。彼らは失う物持ってないし、逆に犯罪犯して刑務所に入ったら、只飯くえるし病気の治療までしてくれると本気で思っているのがゴロゴロです。

貧乏人や低学歴者には出来るだけ関わらないようにして、なおかつ彼らに注意すら払おうとしない。ある意味社会的から排除されてるような連中に冷淡な時代。赤木氏は、フリーターであり有名大学にも行ってないことを明言して、批評家としてデビューしました。いかほどのプレッシャーが、外から内からかかることやら。そんな中で本も出版して、連載も持っているなんて、はっきり言って大したモンである。としかいえません。

赤木氏は、これからどうなるのだろうか。評論本が百万部売れるとは思えないし、そういった金銭的な成功は望めないかもしれないなんて、お前に言われたかない余計なお世話だ。でしょうけど。まあ、今のいい案配の邪悪さを維持して、引き続き楽しませてほしいもんです。といった感じでいかにも傍観者的な言説。自分でも何だか偉そうで、感じ悪い。とにかく赤木氏には今後も活躍を期待します。

2008年1月20日 (日)

さみしい気持ち。

さみしい気分が持続している。なんと言えばいいのだろうか分からないのだが、地に足がついてないような、放っておくと気分がどこか遠いところへ行ってしまうような、思わず自分がどこから来てどこへ行くのか、何のために私はここにいるのか、これからどうすればいいのか、とか、茫漠とした、ひとりぼっちで佇んでいる気分。

たぶん、生きていることに、何らかの意味とか意義を見いだそうと、無意識のうちに、頭の中のどこかをゴソゴソと探っているからだろう。そんなものは当然無いのだが。虚しいことであることよのう。

そこをなんとか切り抜け現実世界に戻るためには、意味も無く金を使わなければならないのだ。私の場合はそうである。そして物ばかりが増えていく。

いまの買い物テーマは録音機材である。DAWに進むべきか、それともMTRか。パソコンで録音から音の加工まですべてやってしまうのも面白いと思えて、さっそく本を読んだりしてみたのだが、何というめんどくさいことか。ソフトの使い方を覚えるだけでも大変だし、じっとパソコンを見続けるのだから目に悪そうだ。やはりアナログ感あふれるMTRでやろうじゃないか。MTRはどこがいいのかマイクはどうかケーブルはどんなのがいいかモニタースピーカーは、とりあえずいま持ってるステレオで間に合わせるか。

ということを考えて計画を練っていたら、さみしさから抜け出ることが出来ましたよ。後は計画通り買うだけである。よかったよかった。

うむ、しかし、こんなことをいつまで続ければいいのか。

2008年1月18日 (金)

レコスケくん。

レコスケくんは、本秀康さんの漫画です。内容は少しマニアックで、掲載されていた雑誌も、レコードコレクターズというマニア誌です。

読んでみると、うなずける事ばかりで、大変楽しい時間を過ごすことが出来ました。特に中古レコ屋のエサ箱あさりのことなど、身に覚えがあります。

しかし、若い人が読んで分かるのだろうか。まだレコードが全盛の時代、でもないか、CDにチェンジする時期の話なのである。私などは、当時のレコ屋の店内の様子と客達の挙動までも思い浮かべることが出来ます。なつかしすぎる。

そこで。本そのものは楽しかったのですが、実はレコスケくんで紹介されているレコードおよびCDは一枚も持っていません。だけど、ほとんど聞いたことがあります。友達に借りて聞いたり一方的に聞かされたりとかで、いまだに覚えているのです。若いときの記憶力は素晴らしい。私が大学生の頃は、アパートの壁一面がレコードでびっしり、なんて知り合いが何人もいたのです。

だいたい、昔から、ロックとかブルースとかジャズとかフォークには、たいして興味を持てなかったのですよ。だから、レコスケくんで紹介されてたレコードおよびCDは持ってないというわけ。けど、バンドをやっていたので、いつの間にか聞いていたというか、聞かされたという次第です。

でも、なんでロックとかブルースとかジャズとかフォークに興味がないのか。歌謡曲とボサノヴァとクラシックは、大量にレコードを所有していたのに。それと今になって特に思うのだけど、そんな音楽の趣味でよくバンド活動などしていたものだと半ばあきれ顔だが、もし今俺が若ければ一人でDTMを背中を丸めながらやっていたことだろうと推測される。それはともかく、今はCDに買い換えてる途中ですが、いつの間にかネット配信に変わってしまいそうで、所有する喜びがなくなるではないか、と思っていたらレコスケくんにも、その事が書かれていました。

やはり、私の時代のマニアは、所有が基本です。手触りとか香りとか重量感とか見る楽しみとか、現物を前にして喜んでいたのです。

もしかすると今の若い人は、単なるデータから、物の質感を感じることが出来るようななったのだろうか。そんな馬鹿なことは無いと思うけど。

2008年1月15日 (火)

地方の活性化。

地方の活性化は、まず無理だ。実際地方に居住している人間が言うのだから間違いない。と言い切っても良いのかな?

それはともかく、第一、地方には人材がまるでいない。優秀な若い奴は大学に進学して都市部で働くからだ。「でも、中には優秀な奴が(物好きなことに)帰郷することもあるではないか」と言う意見もあるかもしれない。

そんな有能な奴、どこにもいません。公務員やら建設業やら農家やら税金を食いつぶしている連中しかいません。なにを隠そう私もその一員です。本当に。冗談ではなく。俺みたいな馬鹿ばかりですよ。いやマジでね。だから国は中央官庁から地方に官僚を派遣しようとしているのでしょう。それも、副市長やら課長待遇で。でも一人だけ優秀なのがいても何が出来るの?

なんて疑問も浮かびます。だいたい、そんな優秀な奴が来ても使いこなせる人材がいませんよ。なんたって、派遣されるであろう人材は、その地方でたぶん一番頭が良いだろうから。

猫に小判。

もう国は、地方の自助努力による再生なんて信じていないのかもしれないなあ。あきらめてるよ。とりあえず、官僚を派遣して地方財政の実際をきちんと把握して、人口の少ない県を取りつぶしてどこか別の県と、くっつけようとしているのかもしれない。そしてどこか良い地域にに中核都市を設置して、人口集約で行政コストを削減しようとしてるのかも。

田舎で、一人暮らしの老人が、ポツリポツリと居住していたら、医療も含めた住民サービスに大変なコストがかかるだろうし。

そうだなあ、地方に100万人程度の中核都市が出来て、そこが賑わった方が、俺としては楽しいと思える。そして人が住まない地域は農業地帯にするとか。

でも今は、小規模農家保護とか、地方重視なんてこと言って、なんとも緩慢な日本崩壊に進みつつあるような気もするのだが。

まあ、日本なんてアメリカのおかげで、つかの間の繁栄を得ただけの、なんちゃって民主主義国家なんだから、アメリカと距離を置き始めると、いつの間にか戦前に戻って、人買いが横行するやら(これは私の婆ちゃんがまだ健在な頃よく話していた)、田舎の若い奴は軍人になるしかないわ(これも私の婆ちゃんがまだ健在な頃よく話していた)、という貧乏国家に逆戻りするかもしれない。

そんな悲惨な状況になるのかどうかは分かりません。まあ無責任な感想です。良い方にいくのか悪い方にいくのか全然分からないけど。とりあえず日本がどうなるのか行く末を見届けてみたいなあ、という感じで無責任な傍観者みたいであり、自分でこの国を何とかしようと思わないのか、お前は。と言われても何の力もない貧乏人です。私は。いや情けないですよ、本当に。口だけなんです。という割に、気の利いたこと言えてないし。

2008年1月14日 (月)

テレビ関係のおっさん連中。

テレビドラマに出てくるおっさんの登場人物は、なぜあんなアホなにだろうか? どのような意図を持って人物造形をしているのか。

コメンテーターのおっさんは、聞いた端からすぐに忘れてもぜんぜんOKな、ありふれていて言い回しに芸も工夫もないことを、なぜあんなに早口でしゃべるのだろうか。実は聞いてほしくないから恥ずかしくて倍速四倍速で話しているのだろうか。

ドラマのなかでは、どの親父連中も仕事第一である。職人親父は、良い物を採算度外視で家族を犠牲にして作ろうとする。サラリーマンは、家族の存在など眼中にないかのごとく過労死まっしぐらの働きを見せる。

現実では、こんなことあり得ないだろう。そんな親父は、かなりの確率で離婚されてしまい、その後は生活力が無いため、家中ゴミまみれになり、病気で早死がいいところじゃないのでしょうか。

テレビ局は視聴者を馬鹿にしているのだろうか。それとも、今時テレビなんか見ている連中は、低所得、低学歴のアホばかりだから、それに合わせて、ファンタジーともいえる、あり得ない男尊女卑家長主義恋愛至上思想を垂れ流しているのだろうか。

はたまた、テレビなんてせいぜいこんな程度です、私たちもこんな番組作りたくないんですよ。分かってちょうだい。すいませんねえ。なんて感じで、自嘲気味に、かつ腰に手を置き冷笑を浮かべながら、こんな番組作るのはまだしも、その上CMでパチンコならびに消費者金融賛美を流している。貧乏人を見下しながら。そして、憂さ晴らしのため、たまに正義を振りかざし、非力でスポンサーにもなれないような小さな食品会社などを賞味期限偽装という、実際たいした被害者などいないのに、そんなつまらんことでいじめるのだ。

あんまり危機感あおっていると、消費者庁なんてのが出来て、役人連中が増殖してしまうぞ。つまらん手続きが増えて、経済活動に支障をきたすんじゃないかと。まあいいけどね。どうでも。

でもでも、テレビに関わる連中は、役者、コメンテーター、芸人、テレビマン、などなど。皆が皆、高所得なんだよな。

ああ、また、ここにもありました。マスコミもそうでした。日本のお家芸である、国が規制を設けて、天下り先を確保して、その業界を保護して、ほとんど奴隷のような貧乏人から金を少しずつ巻き上げて一握りの人間が小金を得るという、パチンコや消費者金融や宝くじなどと同じ構造が見受けられるではないか。

てなこと考えながら、私はテレビを見るのです。踊るあほうで見るアホウです。まんまとテレビにはめられているのです。

そしてこれまでの戯言は、私の偏見に基づくテレビ像です。テレビに携わる人は、本当は、誰も彼も使命感にあふれ、少しでも良い番組を作ろうと血尿を垂れ流しながらがんばっているのでしょう。

これからもテレビある限り、質の高い番組提供お願いいたします。

2008年1月13日 (日)

金が金を生む?

あれから10年以上経つだろうか、景気が良く自分自身も小金を持っていた頃、まんまと乗せられて株に手を出した事がある。当時、欲の皮が突っ張った人間が行き着くところは株か土地だった。私は株に走ったと言うわけ。そして当然、惨敗。馬鹿な奴であり、いい気味でもある。

私と同時期、株に手を出した奴の中には、大負けを食らって行方不明になったのもいる。とんでもない金額だったな。あいつは今どこで何をしているやら。

ところが最近生活が少し落ち着いてきて、またまた株に興味が出てきた。投資の本を買い込み読んでみたところ、インフレによる資産目減りには株の長期保有が良いと書いてある。新興国などは有望そうである。ETF、投資信託、ノーロード、分散投資、一つのかごに盛った卵は全部割れる。なんて言葉が頭に浮かぶようになってきた。

新興国も、やがては経済発展を遂げるので、長く株を持っていると株価が上がるであろう事は容易に想像がつく。しかし、私にそれほど余剰資金があるわけでもなし、投資をするためには、相当後に値上がりすることだけを楽しみにして現在の消費欲求を抑えて投資に回すようにしなければならない。老後のゆとりある生活のため、なんて言葉を鵜呑みにすると、思わず不安になってちょっと資産運用でもしてみるかなんて気になったりもする。

しかしである。老後の安寧な生活くらい、国が設計図をきちんと描いてほしい物だぜ。じゃないと消費活動が盛り上がらんし、ますます日本が先細り、のような気がするのだが。いや待てよ、我々日本人は金を使わずに、他の国に金を持っていって、その国が我々の投資で経済発展をして、そこに日本製品を売り込んだりして。金を投資するわ、必死で働くわで物を作り、輸出で生計を立てる、という従来路線から脱却出来ない。そしていつになっても日本人は働くだけ。悲しいことである。という具合で少々おかしな理論展開になってるぞ。

なんだかめんどくさいな投資。それに、あまり楽しそうではないし。たいして金を持ってない俺ごときが、ちまちまと投資をしてもしれたもんだろう。そうこうしているうちに、途中で株価暴落して大損。というのが一番ありがちなパターンかもしれないし。せいぜいそんなものだよ俺なんて。

やはり金は使わなければならない。今決めました。かねてより念願だったDAWで遊ぶと言うことも視野に入れて、日々生きることにしよう。ギター(アコースティックがよい)。パソコン。オーディオインターフェイスなどなど。結構、金がかかりそうである。

2008年1月12日 (土)

袋物。

おばあちゃんの知恵袋。

おじいちゃんの玉袋。

堪忍袋の緒が切れた。

新しい酒は新しい革袋に。

袋のネズミ。

うん。幾分疲れているようだ。

«タマキングこと宮田珠己さん。