文化・芸術

2008年1月23日 (水)

やはり赤木智弘氏はおもしろい。

ライブドアの眼光紙背で連載中の、赤木智弘氏が面白い。コメントが最も多いのは、良くも悪くも興味を引く話題を提供していることの証だと思う。

確かに、コメントは賛否両論。実質的なデビュー作「希望は戦争」でもそうだったけど、他人が口を差し挟みたくなるものを、彼の書く文章が持っているのだと思う。「赤木智弘はシンデレラボーイだ」というのを、どこかで読んだ記憶があるけれど、才能があっただけの事じゃないでしょうか。

ネットラジオで赤木氏が話しているのを聞いたことがあるが、なんだか親しみやすくニコニコした感じの、聞き取りやすい口調で話していました。

でも、文章は結構邪悪です。他人の反応を見透かした上で、敢えてハズして書いているような、そして上手く釣れたなと、その裏でニヤニヤしているような悪意。いや、もっと深い、不遇時代の怨嗟とか。露悪嗜好混じりのコンプレックスとか。ちょっと投げやりで投げっぱなしな感じとか。そんなことまで勘ぐってしまいます。

ちょっと思い出したけど、「社会派君がゆく!」も、世間のマイナスな側面に寄り添うような感じで、実は社会の良識揺さぶりをかけて世間の見方を変えるような時がありました。でも、今や凶悪犯罪は日常茶飯事。実際、私が住んでる田舎でも夜間の外出は危ない。なんたって馬鹿で貧乏な奴らがウロウロしているから。それも自動車で。

とても、興味本位で犯罪物を読むなんて次元じゃなく、犯罪から身を守る実際的な知識が必要となっている時代じゃないのかな。私も、夜間、パチンコ屋の周辺は避けている。急発進する自動車。急な右折左折。突如の停止。道の真ん中で周囲に注意も払わず話しながらふらふらふらふら。何度ぶつかりそうになったことか。そんな連中相手に事故でも起こしたら、後でどんなトラブルに巻き込まれる事やら。くわばらくわばら。

犯罪は遠くから眺めるような時代じゃなく、いつ自分も巻き込まれるか分からないものに変質してしまって、危ない国になったものです。実際私も、アル中の貧乏人に突然絡まれて、危うく大けがを負うところでした。とにかく意識してその手の人間には近づかないようにしないと危険です。彼らは失う物持ってないし、逆に犯罪犯して刑務所に入ったら、只飯くえるし病気の治療までしてくれると本気で思っているのがゴロゴロです。

貧乏人や低学歴者には出来るだけ関わらないようにして、なおかつ彼らに注意すら払おうとしない。ある意味社会的から排除されてるような連中に冷淡な時代。赤木氏は、フリーターであり有名大学にも行ってないことを明言して、批評家としてデビューしました。いかほどのプレッシャーが、外から内からかかることやら。そんな中で本も出版して、連載も持っているなんて、はっきり言って大したモンである。としかいえません。

赤木氏は、これからどうなるのだろうか。評論本が百万部売れるとは思えないし、そういった金銭的な成功は望めないかもしれないなんて、お前に言われたかない余計なお世話だ。でしょうけど。まあ、今のいい案配の邪悪さを維持して、引き続き楽しませてほしいもんです。といった感じでいかにも傍観者的な言説。自分でも何だか偉そうで、感じ悪い。とにかく赤木氏には今後も活躍を期待します。

2008年1月 4日 (金)

サブカル文化人。

去年はサブカル文化人の活躍が目立ちましたね。いやいや去年だけでなく、ここ数年続いているよ。という声が聞こえてきそうです。

でも、そうではありませんよ。なんといっても私自身が、サブカル文化人の本を読んだり、雑誌で眺めたり、テレビで見たりの回数というか頻度が去年一番多かったような気がするからです。

気がするって? 正確なデータがないのに言い切ってしまうなんて。でも、仕方ありません。このブログでは、私の主観と思いこみを元にして、好き嫌いの粉をまぶして書いているからです。

しかし何であのようなサブカル物が売れるのだろうか。昔のサブカルは、主流から外れてはいるけど、その時代からの圧力で表に出てこなかっただけで、知的クオリティーは非常に高かったような気がするのですが。それゆえ興味を持つ人は少なく、それなりの理解力は要求されたような気もします。

今のサブカルって、ただB級で、ちょっと前ならマスメディアに出るような物ではなかったような気がします。やたらと演劇関係者とかオタク、あるいは経済(投資含む)、が多いのがまた不思議。そのことについては、何か私が掴みきれてないような事情があるのでしょうか。ただ私が馬鹿なだけなのか? それともいろんな方面で余裕のない人が増え、ちまちまと自分の周りのちょっと面白くて理解しやすい物ばかりに目が向くようになったからなのか。

まあ、私自身それらを楽しんで享受していますが。でも楽しんだ先に広がる世界が何もないので結構飽きますね。それとも、そのような空虚感がいいのでしょうか。

サブカル文化人は、それぞれの個人に身についた知識や感性で勝負しているので、なんとなく芸人に見えるときがあります。じゃあ、サブカル文化人は今年、もっと増えてバラエティー番組を芸人と張り合って賑やかにしてくれるかもしれませんね。でも、私は見ないですけど。

2008年1月 3日 (木)

音楽の才能について。

学生時代、本気でミュージッシャンになるつもりでした。在籍していた大学は「くるり」と同じです。もちろん音楽をするために選んだ大学でした。

中学に入って始めたバンド活動を通して体感することが出来た、何かを表現して得られる快感、という麻薬の虜になっていたのでしょう。いやホントに、表現行為には魔物が潜んでいます。バンドなんて、結成してすぐのド下手だろうが、それなりに楽しく、たとえ身内でもオーディエンスがいると気持ちがいいものです。

いくら下手でも続けていけば少しは上手くなります。そして、人前で演奏さえしていれば気持ち良いという立ち位置から少し進化して、見ている人も楽しんでもらえるよう様々な努力をするようになります。そうこうするうち、いつしか譜面が読めるようになり、楽器もそこそこに弾けるようになり、作曲編曲(コードに毛が生えたようなものですが)まで出来るようになりました。このころになると、少しは周りの連中を楽しませることが出来るようにはなっています。

その状態で大学に入学。すぐさま音楽活動を行い、1回生の時から学園祭なんてのにも出ていました。留年するほど音楽に没頭していたけど、結局芽が出ませんでした。同じように音楽活動を続けていた連中の中から二人プロになって、一人は結構売れたようです。

自分ではプロになった二人と、それほど差があるように感じられませんでしたが、当時の自分を含めたプロ志望者の多くを見ていた人には、違いが分かったのでしょうね。当時のことを思い出してみると、やはり、後にプロとなる連中と私とは違いがありました。

ギターのリードプレイについてですが、わたしは指使いを滑らかにすれば良いプレーが出来ると信じていました。そして、楽器演奏とか音楽理論などのテクニックばかり追求していました。一方彼らは、指使いはぎこちないように見えたけれど、出てくる音は自分とは大違いで、音は滑らかに絡み合い、音楽が指先から紡ぎ出されるという感じでした。正確な運指からは正確な音が生まれるけど、個性をもった音楽は生まれてはきませんでした。

そして、知り合い二人がプロになった後、しばらくして音楽をピタリと止めてしまいました。その前後は、どんな事があったのかあまり覚えてないのですよ。記憶にない状態。思い出したくないのでしょうね。酒ばかりのんで大学にもあまりいってなかったことは、うっすらと思い出せるけど。

まあ、音楽に限らず才能なんて、本人には分からないけど、目指している対象に打ち込んで初めて才能の限界が分かるというか、他人に指摘されて気付かされるような本人固有の能力なんでしょうね。

才能って、あればあったら嬉しいけど、なければ自分ではどうしようもない。

やはり、当時の事を思い出すのは未だに辛いものがあります。つまり、あれから何年も経つけど、まだ音楽に未練たらたらということですよ。たぶん。

また音楽始めようかな。

2008年1月 2日 (水)

赤木智弘氏とは何者?

小泉構造改革が始まってから、時の経過とともに、私の周囲にどんどん貧乏人が増えていった。

それでも、地方に影響が出始めたら、選挙のことを考えて、構造改革なんて早々に止めるだろうと思っていた。

けれども、構造改革は終わらなかった。2007年に民主党の参院選での圧勝がなければ、引き続き2008年度も、底上げ(名前のみ変えた構造改革)なんてことをやってたはずだよ。たぶん。

納得いかなかったのは、若い連中が、よりによって自分の首を絞めるような経済政策を行っている自民党を支持しているということについてだった。自民党は、グローバリズムなんてこと言って、地方や弱小農民、非正規労働者を切り捨てにかかってきていることは明らかなのになあ。なんてこと思っておりましたよ。

ところがある時、赤木智弘氏の「丸山眞男をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争」という論文を読んで驚き、何となく腑に落ちてしまったのです。

この論文は、各々の立場の違いに応じて、言葉一つにも幾通りもの意味が取れるような仕掛けがなされていて、この論文に反論したそれぞれの人たちの、知性とか品格みたいなものが読み取れるようにもなっていた。

びっくり。しかも読んで面白い論文だった。なにより熱いではないか。

だいたい今までのお約束のパターンでは、社会問題が生じたら、政財界を突き上げる識者や左翼勢力なんてのがいて、だけども、「言われたり言ったりする」一見全く立場の違う両者が、実は世間で良いとされる大学で似たような教育を受けたりした人達であり、まあ何というか、二つに枝分かれした一本の木のようなものであったりして、お互いやり合ってるんだけど、そこはかとなく八百長感覚が漂ってましたね。どうせ、結論は決まってるんだろ。みたいに。

弱者の擁護をしているけど本人金持ちみたいな。貧乏人が飯の種かという感じとか。搾取する側も、それを批判する側も、同じように弱者に群がっている現状。いつの世も、弱者は踏み台に過ぎません。

私ですか。もちろん負け組ですよ。いいように利用されて、そのうちポイッと捨てられる所に位置しています。

ところが、まったく別の場所から人材が出てきた。ほんもののフリーターの中から。

やはり本物は違います。

だけどこの先、赤木氏が、旧来メディアの知識人に囲い込まれる可能性もありうるのでは、と思ったりもします。論座に掲載されてブレイクという事実からも、旧来メディアの影響力の大きさと、権威付けの力はまだ衰えていないことが見て取れます。じいさん連中は巧妙です。うまく絡め取られてとんがったところがなくなったら、何となく悲しいですね。