日記・コラム・つぶやき

2008年10月10日 (金)

生きてること楽しいですか

何時の世になっても、生きる意味とか生きる目的について取りざたされている。考えても結論など出ないことは、今までの経緯から明らかであろう。なんて書き方をすると、とても偉そうではある。

私は、人間は動物であると考えることが基本だと思っている。別に意味や目的があって生きているのではなく、生命を維持するために食事を取って、子孫を残すためにSEXをして、そのような動物的行為には快楽が潜んでいる。それ以外の人間の行為は、社会的な行為であって、個人的にはコントロール出来ない。

私は、音楽が趣味だが、動物として生きて行くには音楽的な才能があろうと無かろうと関係ない。でも、社会的な存在としての人間と考えると、その才能で社会的に成功を収めることが出来たりもする。

人間が社会的に生きることはやっかいだ。めんどくさい。地位、名誉、財産、プライド、老後の心配、チンポの大きさ、などなど。

出来ることなら、動物的な人間として動物的な満足に充足して生きていきたいものである。なんて思っても、食べて行くには金が必要だし、満足できるSEXには個人的な魅力が欠かせない。そのようなことは、社会的な地位が高いほど有利なポジションを得ることが出来そうだ。

やはり、貧乏人は貧乏暇なしで、世間に翻弄されながら、気がついたら年老いてしまい、何ら良いことはなかったなあ、おい。と言った感じで、使役動物のごとく、生きる意味やら目的も考える暇無く一生を終えるのかもしれない。

私も、そうなるであろう。

2008年10月 7日 (火)

いまごろ秋葉原連続殺傷事件について。

事件を起こした男は、自分の暴走を止めてくれなかった腹いせに、あのような悲惨な殺戮を行ったらしい。と、テレビで報道しているのを聞きました。

この加藤という男、今回の事件は、周囲が自分を追い込んだ事が原因だと開き直るらしい。

顔が悪くて女性にもてないのも、自分が望んで得た顔ではないので、この点に限れば、確かに加藤本人には責任はないだろう。でも、なぜ整形手術という選択肢が頭に浮かばなかったのか。この加藤に友達がいなかったのも、友達出来ないDNAを持って生まれたからなのだろうか。まあ、加藤本人のことは他人には分かりません。子供の頃、少し勉強が出来たみたいだけど、周囲の環境に適応出来るように自分をプロデュースする能力は低かったのでしょう。

これって、コミュニケーション能力が低かったと言うことでしょうか。せめて、もう少し勉強が出来れば、暗いけど頭は良いという、よくある類型に当てはまったのに。

素質、環境、本人の性格。どんな人間ができあがるのかは、あまりにも様々な条件が相互に作用して予測不能です。

でも、最近の悲惨な事件は、貧困がべったりと貼り付いている。

2008年1月20日 (日)

さみしい気持ち。

さみしい気分が持続している。なんと言えばいいのだろうか分からないのだが、地に足がついてないような、放っておくと気分がどこか遠いところへ行ってしまうような、思わず自分がどこから来てどこへ行くのか、何のために私はここにいるのか、これからどうすればいいのか、とか、茫漠とした、ひとりぼっちで佇んでいる気分。

たぶん、生きていることに、何らかの意味とか意義を見いだそうと、無意識のうちに、頭の中のどこかをゴソゴソと探っているからだろう。そんなものは当然無いのだが。虚しいことであることよのう。

そこをなんとか切り抜け現実世界に戻るためには、意味も無く金を使わなければならないのだ。私の場合はそうである。そして物ばかりが増えていく。

いまの買い物テーマは録音機材である。DAWに進むべきか、それともMTRか。パソコンで録音から音の加工まですべてやってしまうのも面白いと思えて、さっそく本を読んだりしてみたのだが、何というめんどくさいことか。ソフトの使い方を覚えるだけでも大変だし、じっとパソコンを見続けるのだから目に悪そうだ。やはりアナログ感あふれるMTRでやろうじゃないか。MTRはどこがいいのかマイクはどうかケーブルはどんなのがいいかモニタースピーカーは、とりあえずいま持ってるステレオで間に合わせるか。

ということを考えて計画を練っていたら、さみしさから抜け出ることが出来ましたよ。後は計画通り買うだけである。よかったよかった。

うむ、しかし、こんなことをいつまで続ければいいのか。

2008年1月12日 (土)

袋物。

おばあちゃんの知恵袋。

おじいちゃんの玉袋。

堪忍袋の緒が切れた。

新しい酒は新しい革袋に。

袋のネズミ。

うん。幾分疲れているようだ。

2008年1月10日 (木)

悲しきパチンカス。

パチンコしか取り柄のない人間を、2ちゃんではパチンカスと言っている。まるで人間のカスのようである。その通りであり、面白い言い回しだと思う。

しかし、どう考えても、やればやるほど金をむしり取られるようなバクチを、1000万人もの連中がやっているというのが信じられない。

パチンコの年間売り上げが30兆円。一人、年間30万円程度負けると聞いたことがある(ちょっと辺うろ覚えではあるが)。とすると、10分の1はパチンコ屋に持っていかれるわけだ。1割も負けるなんて。効率が悪いものだ。

パチンコ屋の客層は、低所得若年労働者がほとんどだという。ということは、低学歴でもあるわけだ。「低」「低」「若」。

判断力の劣った連中から、いいように金をむしっているということか。そして、そんな連中の子供が、パチンカスの親から虐待やネグレストを受ける。悲惨なことだ。

他に楽しみはないかとも思うが、趣味を楽しむためにも、楽しむことが出来る能力が必要とされる。やはりパチンカスの人たちは、何の準備も能力も必要とされない、お手軽で、時間だけ消費して、長時間やったからといってスキルなんて身につかなくて、その上確実に金をぼられるだけの、そんなパチンコでもしてた方が良いかもしれんな。

パチンコ屋に、日がな一日いると、犯罪を犯す暇もないだろうから。そして、へたに余分な時間でも出来て物欲なんて欲求が起こっても満たせるはずも無し。それにパチンコ屋にいると同じような連中ばかりで他人を羨むなんてこと、少なくともパチンコやってる間は起こらないだろうし。

でも、生活保護の連中がパチンコ屋に通うのは何とかしてほしいものだ。

いやいや違うな。パチンコで金がなくなって結構犯罪を犯したり、子供を置き去りにして殺したりもしているな。そんな連中を捕まえるのも警察なら、パチンコ屋に天下るのも警察。やはり日本は馴れ合いの世界ですね。

2008年1月 6日 (日)

常にそばにある不安。

若い頃の不安は、手触りが感じられるほど具体的で身近な存在であって、自分の近くに存在して息苦しくなるほどだった。それは、上手く追い払うことが出来ると、なんとも幸せな開放感をもたらした。ただし、しばらくすると別の物に形を変えて、また私の側に忍び寄ってきた。

あまり若くなくなってからの不安は、いつも胸のあたりにうっすらと漂って晴れ渡るということがない。具体的な「こと」や「もの」ではなく、何だか生きているというだけで、この身に背負わされているようなものと言えるかもしれない。生きていくことととセットになっている。この不安感は解消されることはない。常につきまとっている。

そうか、分かった。

これは死の影なのだ。

そんな年齢になったのだ。

2008年1月 1日 (火)

新年ですねぇ。

それにしても新年(2008年です)を迎えてから、待ってましたと、こんな感じでブログを始めるなんて、少し気恥ずかしさもありますね。

今、外では雪がしんしんと降り積もり、情緒はあるけど外出などする気にもならないのですよ。日頃の疲れをとるためにゴロゴロしているけど、逆に体の硬直を招いて疲れてきているような感じも否めない。

それにしても、2007年は久しぶりにおもしろい年だった。私は、離島で建設業の役員などをしているのだが、地方切り捨ての荒波にどっぷりつかって、もがいて、収入が激減して、先行きの見通しもつかないし、中途半端に初老だし、このままじゃ老後どうなるのかねえ、などという危機感からサディスティックな快感などを、じっとりと味わうことが出来ましたよ。

今までの社会制度が疲弊を起こして、地方も含めた国家運営がうまくいかなくなってきて、そのツケを自己責任なんて言葉で個人に負わせて、しらんぷりを決め込んできたけど、これ以上貧乏人を増やしても国内が荒れる一方で、もうどうにもならんでしょ。てな感じがするんだよなあ。実際、私が住んでる所は人の心なんて荒廃し始めているし。医療制度なんて壊れかけてるし、燃料費や穀物価格の高騰が、漁業や畜産業などの地場産業を危機に追いやってるし。

こんな風に弱いところから機能不全を起こして、国も人体と同じく、やがては全部がだめになるのだろうか?   いやまてよ。  弱いところは切り離していくことも考えられるな。

本当に、これからどうしようかな。

2008年は、いやな年になりそうだ。